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執筆者の写真青桃

第7話―壁トントン叩いてはる―

ここは大阪千林。下町風情が今に息づく横丁。そっと耳を澄ませば聞こえてくるはず。不機嫌な気まぐれものたちの呟きが。「ひとりが好きなわけやないけど、だれかと一緒もきゅうくつ」俗世の垢にまみれ日々あくせくする横丁の住人たちをよそに、日がな一日ごーろごろ。退屈しのぎにぶーらぶら。そんな猫たちのお気楽な横丁暮らしを見るにつけ、物憂さなんてどこへやら。「喜びも悲しみもつかの間。のんびりいこや。生きるってメランコリーにあふれてるんやから」


『トンカン、トンカン』

今朝から伯父さんは、珠子が寝泊まりする事務所兼倉庫に工具一式、脚立と準備万端携えてさっそうとやって来てきた。

昨夜は十分に眠れなかった分、今朝は心ゆくまで惰眠をむさぼろうと、心にかたく誓っていたのに…珠子は寝ぼけ眼をこすりつつ、恨めしく壁を見上げている。

伯父さんは脚立のてっぺんに腰を据え、これ見よがしにトンカチ片手に自慢の大工の腕をふるっている。

それもこれもすべては昨日の壁猫騒動の余波である。

昨日、壁の中から子猫を助けるべく、珠子と伯父さん二人して七転八倒し、穴ぼこだらけになった壁。それを伯父さん手ずから修繕しているのだから、仕様が無いと言っちゃ仕様が無い。珠子にしたって壁の修繕は喫緊の要事であることにはちがいない。

それにしたって、何もこんな朝っぱらから乗り込んでこなくても…

伯父さんときたら、早起きは三文の得とばかりに、

「ええ若いもんがいつまで寝とんねん」

と、まぁ、ぬかしてけつかる。

「朝が早いのは老化現象だよ」

と珠子は返すも、伯父さんはしれーっと聞き流す。

で、諸悪の根源たる子猫のめありはと言えば、トンカンなんてどこ吹く風、珠子のベッドという安息の地を得て丸くなってス~ヤスヤ。

ところで先程来、珠子が“伯父さん”と呼ぶこの人物の正体たるや如何に。この男こそこの家の主(あるじ)桃井咲蔵その人である。あるじとは名ばかりで、実のところ独り居のやもめ暮らしと口ほどにも無い身の上ではあるのだが。

で、珠子とはいかなる間柄にあるのかと言うと、珠子の父、佐倉虎夫の姉、即ち珠子の伯母桃井姫子の夫に当たる人。つまり珠子とは義理の伯父ということになる。

で、この桃井咲蔵氏、なにゆえしがないやもめ暮らしに甘んじているのかと言えば、こればっかりは当人の名誉のためにも是が非にも声を大にしておきたい。昨今流行の熟年離婚、なんてワイドショーの三文ネタにもならないようなお粗末な巻ではない。

三年前、役職定年を機に伯父さんは晴れて勤め先の会社を退職。かねてからの夢だった起業を果たすも、その直後

北の国から戻らず

桃井、佐倉、空知、柚木、石黒、白石、梅宮、甲斐、こっこ、姫子、実怡、みるく、杏子、あこ凜、紀那子、奈菜、華子、とら、ちび、てん、じじ、こてつ

キンキーウィスカー、パンタロン、

「確かにお前は犬と言うよりは猫やな」

「伯父さんみたいな、家事でも何でも万能にこなせる忠実(まめ)男さがすから」

「お前みたいにたるんだぐうたら娘に、どないしたらそんなええ男が出来んねん」

「じゃ、伯父さんの奥さんはよっぽどいい女だったんでしょうね」

「そら、ええ女やったで」

ふたりの間に妙な沈黙が漂う。

「伯母さんってどんな女(ひと)だったの?」

幕間の舞台裏、ドーランを落とし素顔でタバコをくゆらせる。煙と共にふと本音もこぼれる。

決して千林が嫌いなわけではなかった。ただ外の世界を見てみたかった。広い天地で自分を試したかった。もっとやれると信じていた。とは言え、世の中そう思うように上手くはいかないもの。いろいろな商売に手を出してみた。飲食業だったり…サラリーマン生活も…どれもしっくりこなくて。飽き足りず一度は飛び出した千林。おめおめと後ろめたさ

必要とされる喜びはひしひしと感じる。けれども

満足いく結果ばかりが必ずしも人生を切り開くとは限らない。一見挫折や妥協の産物であるように思われたとしても、人生の次のステージは

陰陽道。この世界を自然の摂理を宇宙の真理を、秩序立てて説明するためのひとつの方法。現代では自然科学が担っている。科学信奉主義。

あたかも生存に疲れたかのごとく地上を去って行くミツバチたち。父や母が家族を捨て家庭を捨て蒸発してしまうかのごとく。未だ原因不明。静かなる崩壊。

孤高の野良犬ライオン丸。

まほろば。黄泉の入り口。

白のロードスターで一緒にドライブに行きたかった。ルーフを開けて風に髪をなびかせ

大島君とこのおばちゃんの話。「たま、お茶っ葉買ってきてくれへん。午後から大事なお客さんをもてなしするから」「ええのはりこんでや」

白猫、オッドアイの秘密。秘密と言っても、それは彼女に対して我々が秘密にしていることだ。

キンキーウィスカーの孤独。以前の飼い主にはひどい輩で、虫の居所が悪いと彼のことをなぶり鬱憤を晴らしていた。ある日とうとうひげに火をつけられた挙げ句、家から放り出された。身も心も傷つき恐怖におびえ衰弱していたところを、心優しきオーストラリア人に助けられる。それまで飼い主が有りながら名前すらなかった彼だったが、生まれて初めて名付けて貰ったのが、このキンキーウィスカーという名であった。日本語で縮れひげという意味らしい。これまでついてない人生ならぬ猫生であったのが、オーストラリア人の彼に出会ってからというもの、運が開けてきた。まあ、運が開けてきたと言っても、毎日たらふく喰えて、優しく背中を撫でてもらえさえすればそれでよいのだが。彼の片思いの恋を成就させたい。猫が恩義を覚えるなんて、犬やあるまいし…といささか懐疑的にならざるを得んが、猫にだってそれなりに恩くらいは理解できる。何とかせんならんなあ、と時折思い至ることもある。ぼんやりと。そうぼうやりと、その時だけ。基本的にはどうでもええことなのだが。

「たま」

そう呼ぶ声がして珠子が玄関先まで出てみると、伯父さんが立っていた。ええおっさんがまるで20代のヒッピーがだちん家に転がり込むかのごとく、バックパック一つで。

「引っ越してきた」

「マンションは?伯母さんとふたりで暮らしてきたあの…」

「引き払った」

「それはまた思い切ったことを。でも、なんで今更…」

珠子は怪訝な顔をする。

「いくら伯父さんでも一人暮らしの女性の家に転がり込んでくるなんて」

「転がり込んでくるとは失敬な。そもそもこの事務所兼倉庫は伯父さんのもんやで。居候はお前の方や」

「厳密に言えば伯父さんは義理の伯父であって他人よ」

「何を今更他人行儀な。お前が二つの頃から風呂に入れてやった仲やで。それに、曲がりなりにも大事な娘をお預かりしてるんや。そばに居って見張っとかんと。お前の身に何かあっては、親父さんに合わせる顔がない」

「そんなに四六時中そばにいなくても…」

「突っ立っとってもしゃあない。入るで」

伯父さんはずかずかと部屋の奥へと進んでいく。

「めあり!今日からはずっと一緒やで」

もっともらしい理屈を並べ立てたところで、本当の目的はずばりめありだ。壁から取り出して以来、伯父さんはめありに首ったけ。文字通りでれっでれの猫かわいがりぶりには珠子もほとほとあきれるばかり。珠子がめありを独占していることに焼き餅焼いていたのだ。

こうして、ふたりと一匹、否、三匹の三匹による三匹のためのけったいな同居がはじまった。

世界で冠たる大企業の役員までつとめた。海外での単身赴任も長かった為英語が堪能なのは当然のこと。単身赴任が高じて趣味は料理。しかも腕前は超一流。世界各国の料理もお手の物。珠子にとっては何でも出来ちゃうスーパーマンみたいな人。憧れのスーパーヒーロー。しかし、いざ一つ屋根の下で暮らしてみると減らず口ばかり。駄洒落やおやじギャグ連発。珠子の前で平気で屁はこくし、いびきはかくし。ぺっかぺかのヒーローも一皮むけばただのおっさん。

「お前が結婚して旦那と一緒に暮らした時に、幻滅しすぎて離婚の危機を迎えんように今のうちに免疫つけといたる」

とよくもまあぬけぬけとぬかしてけつかる。

早期に職を辞して。もともとは技術畑の人だったので様々な資格を有する。それを活かして自動車やパソコン、電化製品の修理したり、工場などの作業場の指南役、嘱託で中小企業の支社の雇われ社長に就いてみたり。時にごコミュニティーの講習会に招かれて英会話やパソコン、料理なんかのインストラクターをつとめてみたり。

獣医になった息子。北海道で獣医師をしている。北海道に骨を埋めるつもり。いつかは北海道に移り住み乗馬でもして暮らしたい。が、今は行きたいとは思わない。しゃくに障るから。千林に愛着がある。千林は便利。ものは安い。どこへ出かけるのも交通の便が良い。傘なしで京阪電気鉄道にも地下鉄にも乗れる。ちょっと飲みたくなったらええ店がそばにぎょうさんあるし、のみ仲間もすぐできるしみつかる。

こういう時季には、やはりお決まりのあれですね、怪談。今一つ怖くはありませんが、青桃もこの間いわゆる“それ”に遭遇しました。取り壊し間近のとある旧い商工会館にて、「出る」と噂の5階。そこにはオフィスもテナントも一切入っていないのですが。閉館間際の午後10時前、ミーティングを終え、6階にて下りのエレベータに乗り込もうとした際のこと。ちょうど5,6人乗り込んだところで、閉扉ボタンを押さないのに、突然扉が閉まりだし同僚が挟まれかけました。それでもお構いなく扉は勢いよく閉まり、どこの階のボタンも押さないのにエレベータは勝手に下りだしたのです。「はよ1階のボタン押し~!」と誰かが叫びましたが、時すでに遅し、エレベータは5階で停まりチ~ンと扉が開きました。もちろん“人”はいません。が、明らかに“何か”が乗り込んできたのはわかりました。でもあまり怖い類のものではありません。というのも、青桃はいわゆる霊感という特殊な感覚はあいにく持ち合わせておりません。せいぜい生きている人間の残像みたいなものを微妙に捉えられる程度のものです。仮にそんな恐ろしいものに出会ったとしても、到底感知できないのであります。エレベータが1階に到着するまでの時間の長いことといったら…皆押し黙っていました。青桃だけが「いますね~」と小声で繰り返していました。1階で扉が開くや否や、皆一目散に駐車場へと去ってしまいました。青桃も早く駐輪場へ行きたかったのですが、何故だか上司がその場で立ち止まっているのです。青桃は思わず「その… 憑いていますよ、通り道ですから」と上司の背中を払ってしまいました。怖いものでなくても、やはり気持ち悪いものは気持ち悪い。おそらく“それ”は建物の取り壊しを知り、慌てて出て行くことになったのでしょう。その後、上司と話をした際「そういうあんたが怖い気がする。やっぱり君はちとかわっとるな~」とのことでした。

 科学や合理主義の行き届いた世の中では、“そんなもの”は存在しない、というのが主流、王道、常識でしょう。青桃もずっと我が身にそう言い聞かせてきました。“何か”感じても、錯覚に違いない、“そんなもの”を信じるるなんて無知蒙昧だと自己否定してきました。でもやはりいるものはいるし、感じるものは感じるのです。最近になってそういう自分を素直に受け入れられるようになり、却って気楽になりました。

 兎角この世で本当に怖いものといえば、生きている人間の「人で無し」をおいては無いでしょう。いつか青桃も、生きている人間の鬼をモチーフにした「怪談」を描いてみたいと、秘かにアイデアを温めております。


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