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  • 執筆者の写真青桃

人間は幸せを願う唯一無二の存在

中1遺体遺棄事件。寝屋川まつりが中止になるなど市民生活にまで余波が及んでおりますが… このような異常犯罪はいわゆる社会病理と言われ、この社会がある限り一定の確率で発生するらしい。実際に痛ましい事件に直面すると、このような理性的な見方にはどうも違和感を覚える。確かに科学的根拠に基づく客観的事実であろうが、青桃には冷静の名を借りた冷淡な眼差しにしか映らない。凄惨な目に遭遇する確率は、個人にとっては遭うか遭わないかの五分五分でしかない。不幸にも遭ってしまった人にとっては、その事実がすべてである。理知的であっても無機的な人間であるより、愚かであっても人間くさくありたい。 凶悪犯罪が起こる度に、人間性とはいったい何であるのか突きつけられるように思う。人間的属性、人間と動物を区分する根源的要素、人間を人間たらしめる普遍的本性、もっと平たく言えば人間らしさとは…人間には理性が備わっている。故に人間は本能の赴くままに行動しない。果たしてそうなのだろうか。人間以外の動物はホミサイド(同種間殺し)を犯さないかと言えばそうではない。動物にも殺しは存在する。ただし飽くまで生存故の事情である。人間以外の動物は殺しを快楽とはしない。人間の残虐性を獣(ケダモノ)や鬼畜の仕業に喩えたりするが、動物は決して残忍な行動には及ばない。欲望にのみ動機づけられた快楽殺人。最も人間性からかけ離れているべきとされる行為が最も人間性を裏付けているとは、皮肉な逆説である。人間が持ちうる残虐性の最たる行為が、人間性を根拠付けるのであるなら、いっそ人間性など拒絶してしまったほうが…人間性の根源をどこに求めればよいのだろうか。 「人間は幸せを願う唯一無二の存在。幸福希求は他の動物にはない人間のみに許された特権、美徳なのだから」とある教授は青桃にかつてそう授けてくださった。それをかたくなに信じたい。


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